TERRY'S HOMEPAGE | G'DAY! MATE! |
HOME > AUSTRALIA REPORT > AUSTRALIA '01 Kalgoorlie
C O N T E N T S |
Kalgoorlie '01.1.30 |
1893年に始まったゴールドラッシュ。そのゴールドラッシュと共に栄えてきたKalgoorlieは、西オーストラリアを州に昇格させる原動力ともなり、今でも内陸最大の町として当時の反映を偲ばせている。 |
Kalgoorlie | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
地元の人が略して「Kal」と呼ぶKalgoorlieは、近隣のBoulderを含め、正式にはKalgoorlie-Boulderという。 Bunburyについで州で3〜4番目に大きい町だが、めぼしい観光地は歩いて散策できる範囲内にある。 まず、CALMのオフィスを訪ね情報収集を行うが、ここのオフィスは小さめで期待したほどの資料は皆無であった。 次にTourist Bureauで情報収集とWestern Australia Passportのスタンプを捺印。 以後、各地のTourist Bureauを探し歩いては、スタンプを収集する。 |
Tourist Bureauはメインストリートに沿ってほぼ町の中心にあり、大陸横断の長距離バスなどもBureau正面に停車する。 Visitors Bookがあったので確認してみたら、日本人では三ヶ月ほど前に二人の女性が来訪しただけであった。 Tourist Bureauを後に、メインストリート、Hannan Streetを散策。 |
|||||
1893年にPaddy Hannanと言う人物が、ここで偶然金を掘り当てたことで、この地にゴールドラッシュを引き起こす。 そして、それはオーストラリアで最大の採金地を見つけたことになり、西オーストラリアの歴史そのものを変えることになる。 金の発見から一ヶ月のうちに何百人もの鉱夫が広野を掘り始め、当初はHannan'sと呼ばれていた町の人口は、2年後、隣のBoulderの1,000人強と併せて6,000人以上へと膨れあがった。 Hannan氏が最初に金を掘り始めた場所は、町の北はずれOutridge Terraceにあって現在、Paddy Hannan's Treeがある。 |
1902年には、町の人口は30,000人を越えるほどに膨れあがり、これが西オーストラリアを自治区から州へ昇格させる一因となった。 当時、州への自治独立には一定数の人口の確保が重要だったわけである。 町のメインストリートであるHannan St.とMaritana St.の交差点角には、Paddy Hannan氏の銅像がある。 |
|||||
Kalgoorlie Central Station | ||||||
Hannan St.からHannan氏の銅像を右折し、Maritana St.の突き当たりにPerth〜Sydney間を横断するIndian Pacificが停車するKalgoorlie Central Stationがある。 この路線はIndian Pacificだけでなく、ローカル線のTranswa Prospectorも走っていて、Perth間は上下週2本が運行している。 この日はIndian Pacificの運行はなかったが、列車が停車する日の駅前は各種ツアーのバスが並び、かなりの賑わいを見せるという。まるで離島に着く、定期連絡船のような雰囲気なのだろう。 |
||||||
Architecture, Kalgoorlie-Boulder Style | ||||||
さて、町に戻ることにしよう。この町にはゴールドラッシュ時代に建てられた歴史的にも興味深い建物が数多く残っていて、Kalgoorlie-Boulder Styleとして知られている。 有名なExchange Hotelと並んでもう一つの名物ホテル、メインストリートに面して建つYork Hotelは、1900年に建てられ、建築物としては一般的であったビクトリア調に当時流行していたアール・ヌーボ調のデザインを加味した画期的なデザインである。 外観はフランス風のドームをもつ六角形の一対の塔があり、壁は階下が漆喰、上階は煉瓦積みになっている。 オーストラリアを旅しているとどこの町にも必ずと言っていいほどPalace Hotelという名のホテルが必ずある。 |
この町とて例外ではなく、Hannnan St.とMaritana St.の角にPalace Hotelが建っている。このホテルは町の最も豪華なホテルとして設計され、内部の調度品ははるばるMelbourneから取り寄せられた。 また建設に際しては地元の採石を使用し、初めて電灯を使用したホテルでもあった。アメリカ元大統領のHerbert Hooverも常宿として利用していたという。 Kalgoorlie City Marketは、平屋の建物で三角形の対の小塔が頭部にあるアーチ型の門がある。 1900年代の初頭には、中央に屋根のついた中庭があり、八百屋や肉屋、果物屋の中心地となっていた。 |
|||||
Superpit | ||||||
Tourist Bureau近くのカフェまで戻って休憩した後、Superpitへ向かう。 Superpitとは、巨大な露天掘りの採掘場で、町の中心からクルマで5分ほどの距離にその全体を見渡せるLookoutがある。 採掘場全体は大規模で、Kalgoorlieの町がすっぽり入るほどの大きさだ。 現在掘っているのは何度めかの場所で、10数年ほど前まで掘られていた場所は、すでに埋め戻されている。 ここでは採掘場は必ず埋め戻すことが義務づけられているのだ。 |
Super Pitでは毎日、午後1時にダイナマイトを使った発破を見ることが出来る。 それに合わせて見学に行ったのだが、なにしろ採掘場自体が広大すぎて、大規模な発破なのだろうが、遙か遠くでパッと白煙が上がったに過ぎなかった。 |
|||||
Museum of the Goldfields | ||||||
町に戻り、Museum of the Goldfieldsを見学。 昔ながらの採掘やぐらを外観に持つこの博物館には、この地で最初にHannan氏が発見した金塊や史上最大の金塊「Eagle Nugget」(1,135oz)、その他の採掘物、採掘に使用されたの道具や当時の生活を忍ばせる炭坑夫の小屋などが展示・再現されている。 Museum of the Goldfields Tel : 9021-8533 開:10:00〜16:30 閉:Good Friday and Christmas Day |
||||||
Two Up School | ||||||
ホテルで休憩後、夕刻、Two Up Schoolを見学に行く。Two Up自体の説明は別項にあるので参照してほしい。 Two Up Schoolの場所はKalgoorlieからクルマで北へ10分ほどの距離、Broad Arrowへ向かう途中にある。路肩に「2Up」と殴り書きしたをトタン板があるだけなので、入り口は見落としやすい。 さらに道路から1kmほど入り込むと、Schoolというイメージからはほど遠い感じの周囲をトタン板で囲っただけのきわめて質素な建物が現れる。周囲には数台の車が駐車していて、すでに観光客が来るような場所でない雰囲気が漂っている。トタン板の壁には「アルコールの持込み不可と18歳以下立入禁止」の表示がある。 Two Upを行っている会場は、この中にあり、直径5mほどのアスファルトで固められた場所で行われている。 |
この会場を囲んで10数人が博打に興じているが、半分はアボリジニで、あとの半分は白人だが、皆、地元の人間らしい。こんなものをわざわざ見に来る酔狂な観光客はどうやら我々だけらしい。 賭けに興じる彼らの目は、生活がかかっていて殺気すら感じられるほどだ。 とても観光客が飛び入りで参加できるような雰囲気ではない。早い話、シャレにならないのだ。 だからいざこざが起きても大事に至らないようアルコールの持ち込みは不可なのだと言うことに気づく。 Two Upが開催されている時間は、毎日、午後5時から暗くなるまで。照明器具の類はない。日没も迫ってきたので早々に退散することにした。 |
|||||
Two Up | ||||||
Two Upとは、オーストラリアでもっとも古典的な賭けゲームの一つで、2枚のコインを放り投げ、その裏表を予想するゲームである。もともとこのゲームは、鉱山に集まる荒くれ男達が楽しみの少ない生活の中から考え出されたもので、南オーストラリアの鉱山の町、Cooper Pedyなどでも行われたと思うが、西オーストラリアでも盛んに行われ、なかでもKalgoorlieがその発祥の地と言われている。 Two Upの道具だが、Kipperと呼ばれる木の板に丸く浅いくぼみが掘ってあり、ここに2枚の(現在は流通していない)ペニー硬貨をそれぞれ裏面を上にしてはめ込む。各硬貨は、表面(Head)がピカピカに磨き上げられ、裏面(Tale)には白い×印が印してある。 これは両面の判別をしやすくするための処置のようで、このKipperに乗せた硬貨をうまく回転(スピン)するように空中に放り投げて、地面に落ちた硬貨の裏表を競うわけである。 ゲーム自体はきわめて簡単。まず、ゲームに参加しているプレイヤーの誰かが「20、Head!」と宣言し$20札を掲げる。これは「自分は$20を表面に賭ける」という事を意味していて、他のプレイヤーが彼とは反対の裏面に賭ける場合は、同額の$20札を掲げる。すると、ディーラーがやってきて、双方の紙幣を預かっていく。「50、Tale!」などという高額なコールが出た場合、その金額に納得できなければ、コールを無視しても構わない。 さて、裏表双方の賭け数が揃ったらゲームがスタートするが、ディーラー自身がコインをスピンするわけではない。コインを投げる人はSpinerと呼ばれ、賭けに参加している誰かが直接行なっても構わないし、賭けに参加していない人がスピンだけに参加してもよい。 |
賭けをしている場合は、手数料として掛け金の10%を、スピンだけの場合は$10をディーラーにそれぞれ渡す。ディーラーは掛け金が直接儲けになるのではなく、こうした手数料が儲けになるわけだ。 Spinerが決定すると、ディーラーは7枚のコインをSpinerに放るが手渡しはしない。これは公正さを期すためだと思われる。Spinerは地面に落ちた7枚のコインの中から2枚を選んでKipperに乗せ、残りの5枚はディーラーに返す。 Spinerはディーラーの合図でコインを放り投げるが、2枚のコインが綺麗にスピン(回転)しているか、頭の上から2m以上高く上がっているかなどがチェックされる。これらが満たされていないと、やり直しとなる。 コインのスピンは、サッカーの試合開始時などに行われるコイントスのようにコインが空中を舞うわけだ。 さて、地面に落ちた2枚のコインが、一方が裏でもう一方が表の場合は、やり直しで、2枚のコインがどちらかの面だけに揃うまで続けられる。 2枚が揃った時点で決着がつくが、同時にSpinerの役割も終わる。このようにTwo Upは、ディーラーはコミッショナー的な役割で参加するだけで、賭け自体はあくまで参加者同士で行われる。 なお、ここに記したTwo Upの方法は伝統的なルールに準じたもので、Burswood Casinoなど一般観光客を相手に行われるショーアップしたものとは若干異なる。 |
|||||
Perth〜Kalgoorlie/Kalgoorlie/Kalgoorlie〜Esperance/Esperance/Esperance〜Albany/Albany〜Perth/Rottnest Is./Perth |