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C O N T E N T S |
Perth to Kalbarri '00.1.26 |
今朝のPerthは快晴。しかし、どこか今ひとつ気分が晴れないのは、心はまだアウトバックにあるからだろう。それだけあの暑さと広大さは強烈なインパクトであったということか。気を取り直して3泊4日でKalbarriの旅に出る。 |
On the Road | ||||||
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7時半起床。コーヒーを飲みつつ荷物をまとめ、Perthの北560km先のkalbarriを目指して10時出発。今日はAustralia Dayということもあり、市内では西オーストラリアの功績を称えたイベントなども行われている。毎年、この日の夕刻に打ち上げられる花火を楽しみに渡豪しているのだが、今年もまたその機会を失ってしまったのが心残り。 PerthからGrand Hwy.を北上。昼近く、Regans Fordに到着。風車が併設されたロードハウスで、軽く昼食。さらに北上を続け、Cockleshell Gulley Roadを走る。 |
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Lesuer National Park | ||||||
このLesuer National Park内一帯は春にはワイルドフラワーが咲き乱れるというが、訪問した盛夏には多くの花が枯れていて、かろうじて数種が残っているだけであった。 | 西オーストラリアフリークを自認するなら、いつの日か一度は旬のワイルドフラワーをこの目で見なければならないだろう。 | |||||
Eneabba | ||||||
午後3:30、Eneabbaにて小休止と給油。 「Eneabba」とはアボリジニの言葉で「エミューの棲む場所」という意味だが、この周囲にはもはや野生のエミューは生息していない。 |
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Dongara | ||||||
午後4:30、Dongaraにて小休止。 「Dongara」とはアボリジニの言葉で「アザラシの出会う場所」という意味。 この町は1850年代に最初の入植が行われ、1852年には町区として使用する調査が行われた。船着き場は1860年にPort Irwin(現在のDenison)近くに建設された。 |
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Northampton | ||||||
午後5:40、Northamptonにて小休止。 Geraldtonの南50kmにあるNorthamptonは、Swan River入植地が確立された直後に植民が始まった。1842年にはWaneranooka近郊で銅が発見され、その6年後には鉛も発見された。この地域の労働力不足を補うために囚人が導入され、1853年から1856年にかけてPort Gregory近郊のLyntonに囚人雇用施設を設立された。 Old Conventは逍遙学派のモンセニョールHawesによって設計され、地元産の石だけを使って建てられた。 |
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Kalbarri | ||||||
North-West Coastal Hwyからkalbarriへ向かう直線路に入った頃には、すでに夕日がまぶしい時間帯。 午後7:25、日没直前に目的地のkalbarriに到着。チェックイン後、小休憩し、夕食に出る。就寝22時。ただクルマに乗っていただけの1日だったが疲れた。 Kalbarri Seafront Villa Homepage 72 Grey Street, Kalbarri WA 6536 Tel : 9937-1025 / Fax : 9937-1525 |
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Perth/Perth〜Yulara/Yulara-2/Yulara-3/Kings Canyon/Yulara〜Perth Perth〜Kalbarri/Kalbarri-2/Kalbarri-3/Kalbarri〜Perth/Perth & Rottnest Is./Perth-3 |