HOME > COLUMN > COLUMN-2

C O N T E N T S

Top_Photo
大人なんだから・・・。
二輪用駐車スペース
歩道に仮設された二輪用駐車スペース
あるサービスエリアのレストランに入店して席を探していると、対応した店員がこちらの服装を見て「あ、オートバイ(に乗ってこられたの)ですね?じゃあ、バイクが見える場所の方が良いですね」と窓際の席へ案内してくれた。
また、ある観光地ではクルマの駐車スペースが満車のために、急遽、歩道に仮設された二輪用の駐車スペースに止めるよう誘導された。後で駐車スタッフに聞いた話では、この仮設駐車スペースに対して「歩道への駐車は違法ではないのか」「駐車場所が遠くなって不便だ」などと苦情を言うライダーもいるのだという。
そもそも昔からオートバイとライダーは、クルマやドライバーに比べて冷遇される場面が少なくなかった。だからといってそれをいちいち文句を言うことはなかった。言ったところで待遇が改善されることはなかったし、相手もそれほど理解力を示す人が多くなかったからだ。
オートバイが心配だから、愛車が見える席に着きたい。それも結構だが長くバイクに乗ってきた立場から言わせてもらえば、サービスエリアで愛車をいたずらされたことなど一度もない。
ライダー同士はもちろん、バイクに興味のあるドライバーでも遠くからバイクを眺めることはあってもバイクに手を触れることなど一度もない。ドライバーは少なからずライダーに嫌悪感や恐怖感を抱いていると思えるフシがあるくらいだ。
駐車スペースにしても物理的にオートバイは歩道に止められる大きさだし、警察への届けは済ましてある場所に駐車できるのなら、仮設スペースでもいいじゃないか。遠いと言ったところで数十メートルの距離。歩けば済むだけの話だ。何も道徳観まで持ち出して苦情を言う必要もない。
最近は、バイクへ対する愛情が異常と思えるような確執を持ったライダーが確実に増えている気がする。おそらく高級なバイクが購入できる裕福な層、道徳観を持ち出してまで苦情の言える知識層、そしてオートバイが昔から冷遇されてきたという過去を知らない昨今のカムバック世代たちと予測するのだが、果たしてどうだろうか。
これってナナハンですか?。
CB750_Four
Honda CB750 Four (1969)
「昔、乗っていたんだよね」と独り言のようにつぶやくオジサンよりもさらに厄介なのが、「これってナナハンですか?」と話しかけてくるオジサンたちだ。
「昔乗ってた族」は新旧の違いこそあれ、まだオートバイという共通項があるから、どうにかなるのだが、「これってナナハンですか族」は、最初からオートバイを「解読」できていないから始末が悪い。
たいがいのオートバイはサイドカバー付近に排気量を示す数字が表記してあるので、それを読めば数字=排気量と判断できるはずなのだが、これが彼らにはできない。
だからこんな時にKawasakiのVN2000なんかに乗っていたら、その答えにさぞかし驚くだろうと密かに思ってしまうのだ。
ところでどうして彼らは「大きいオートバイ=ナナハン」と思い込んでいるのだろうか。おそらくHONDA CB750 Fourが、オートバイとしての国内販売の最大排気量自主規制の洗礼をまともに受けてしまった世代なんだろう。
その意味ではCB750 Fourはなんとも罪作りなオートバイであったか。
こういう風に「大きいオートバイ=ナナハン」と刷り込まれてしまったオジサンたち。定年退職で時間が出来たからって、間違ってもオートバイの世界には足を踏み入れない方が身の為だよと警告しておこう。
CB750 Fourが最大排気量であった時代から時の経過を考えれば、最新大型バイクのパワーたるや想像を絶するモノがあるんだから。
「あ!」と思った時には簡単に逝っちゃうからね。そんなに急がなくてもすぐにお迎えが来る年代なんだから、そんなに慌てなくてもねぇ。バイクは遠くから眺めるだけにしておきなさい。
でもって最後に言っておくがリッターバイクを捕まえて、「これってナナハンですか?」と聞くのだけは止めてくださいな。過小評価されたようで悲しいです。
せめて「これって何cc?」ぐらいに留めておいて下さい。
VN2000
Kawasaki VN2000 (2006)
「昔、乗ってました」と言われても。
たまにではあるが、バイクを止めているとあきらかにライダーではないと思われる同年代ぐらいの男性に話しかけられることがある。
「どこから来たんですか?」。初対面のライダー同士の挨拶代わりの決まり文句だ。
「天気はどうでした?」「道はどうでした?」と情報交換になっていくはずのライダーの会話と明らかに異なるのは、彼らは決まって「ボクも昔、バイクに乗っていたんだよねぇ」と遠い目をしながら独り言のようにつぶやくのだ。
果たして彼らの真意は、バイクに親密さを感じたからなのか、それとも話を聞いて欲しいだけなのか。
今はバイクに乗っていないが過去には乗っていた。その事実だけは認めよう。しかし、だからといって今のバイクの性能を彼らに語っても理解できないだろうし、彼らの昔話や過去の栄光を聞かされても正直困るのだ。
「ああ、そうですか」と苦笑しながら相づちを打ってはみるが、実際、会話が成立していないことに彼らは気づいていない。
昔が恋しければまた乗ればいいじゃないか。「キリン」風に言えば、「こっち側」に戻ってくればいいだけの話だ。彼らには「こっち側」に戻って来る勇気はまだ残っているか。
バイクに乗らない「あっち側」と乗る「こっち側」、バイクに乗るとはそういうことなのだ。
路上駐禁取り締まり強化。
'06年6月1日から民間委託による路上駐車取り締まりが強化され、同時に二輪の違法駐車の取り締まりも強化されている。迷惑駐車の取り締まりに異議を唱えるつもりはないし、路上駐車による渋滞も解消されて走りやすくなったという声すら聞く。
だが、クルマの場合は有料駐車場も完備され、路上にも駐車スペースが用意されているが、二輪の場合はどうか。都内の一部の地域などでは二輪専用の駐車場もあるようだが他の場所には皆無である。
四輪と二輪を同次元で考えてはないだろうか。取り締まるのは結構だが、そのための駐車場も完備してもらわないと二輪は駐車しようがない。それは逆に言えば、都内には二輪で来るなと言わんばかりである。
悪法でも法は法であるが、何の為の、そして誰の為の法律なのか?高速道路の二人乗り解禁がアメだとすれば、都内の駐車取り締まりはムチなのか?
高齢ドライバーの話。
最近、高齢運転手の引き起こす交通事故が多い。若年世代の交通事故はスピードの出し過ぎや運転技術の未熟さによるものだが、高齢者の事故の場合、アクセルとブレーキの踏み違えとか高速道路の逆走といった「ボケ」の症状のようなものに起因しているのが特徴的だ。
考えてもみて欲しい。高速道路を走っていたら向こうからクルマが向かってくるわけだ。そんなものが来るなんて誰も予想もしていないし、避けようがない。
だいたいバイクは16歳、クルマは18歳にならないと取得できないが、それ以降は死ぬまで現役で運転できるなんておかしくないか?
16歳や18歳でしか運転免許が取得できないのは、身体的な未熟さもさることながら、能力的なものも起因しているとしたら、高齢者の加齢による判断の衰えは、それと違わないだろう。
はっきりいえば、年寄りには運転をして欲しくない。危なくて仕方がないじゃないか。単独でポックリ逝ってくれればいいが、将来のある他人を巻き込むなんて勘弁して欲しい。
そうでなくても地方に行くとノロノロと法定速度以下で走っている軽自動車がいるが、それは決まって高齢者なのだ。
事故を起こす以前にすでに流れに乗れていないのが実情だ。年寄りたちよ、おとなしく運転免許証を返上しなさい。
クルマを自分で運転する年寄りに限って、老齢の自覚症状がなく、自分は今でも若く、現役で運転できると強く信じ込んでいるからタチが悪い。しかもこの手の人口が多いので、彼らを支持基盤としている国会議員も高齢者の運転制限を法制化できないでいる。
若年世代の事故が増えるとすぐさま規制化する行政もこういうことだけは対応が遅いのだ。重大な事故が起こってからでは遅いのだが、その時、被害者でないことを願う。
COLUMN-1/COLUMN-2/COLUMN-3COLUMN-4COLUMN-5

ページの先頭へ戻る